わが父の戦後
sora
私は「戦没者遺族」です。といっても亡くなったのは「祖父」です。 私の父は小学2年生の時に父親が出征して亡くなったので、「父親」の面影はおぼろげに覚えているだけのようでした。 以前、父に「戦争で亡くなったおじいさん(私からいうと)の話をきかせてほしい」というと顔色が変わりひどく感情的になっていたことを覚えています。
戦後、辛い思いをして生きてきた父が思い出したくないのだと思い、「つまらないことを聞いてしまった、もう二度と聞くまい」とそれ以後は聞くことはありませんでした。 私は、父とは別居していますが、ある日実家へ帰省した時ふと父の押し入れの中の書類や書籍を見ることがありました。私は、それを見て「ハッと」させられました。
父の本棚と書類には、戦前、戦中に発行された書籍のコピーや今なら「右翼思想」と思われる保守的な雑誌などが毎月欠けることなく過去10年分ぐらいありました。 私は戦後レジームといわれる中で教育を受けてきたので、当然「愛国」や「日の丸(国旗)」、「君が代(国歌)」がどのように複雑に扱われて教えられてきたかを知っているつもりです。
そして、あの戦争は間違いだった、日本は悪い国だ、戦争に負けたので責任を負わなければならない、などといった教育で当たり前のことだと思っていました。 ただ、小学生のころ社会や道徳の授業で戦争についてのことがあったと父に話したとき、父はあまり嬉しそうな顔をしなかったことを覚えています。 当然ながら、父もその戦後の辛さを思うと「戦争で親を亡くした(殺された)」という「戦争に対して憎しみを持って」生きてきたのだと思っていました。
でも、その山積みにされた本や書類をみて、私は父に対して何か勘違いしているのではないかと思うようになりました。そして、父にもう一度「戦争で亡くした父親(私の祖父)」についてや「戦争について」どう思っているのか聞いてみようと思いました。
でも、なかなかチャンスがありませんでした。そうしているうちに私の中に「今の世の中に対する違和感」が生まれてきました。 世の中では「太平洋戦争」と呼んでいるが、なぜ東南アジアの国で戦った旧陸軍のことが話題になるのだろう、当時米国と日本では国力は大きく差があったのになぜ戦争になったのだろう?とか、戦後は戦争に負けたのにも関わらず、敵国の米国に助けてもらい従うことが「良いこと」というのが正しいのだろうか?とか、戦前の国の考え方が悪いように教えられてきたが、本当にそうなのだろうか?など。
そして、私の通っていた当時の学校の歴史の授業は、小、中学、高校の日本史を含め、「縄文時代、弥生時代や平安、奈良時代など、大昔や中世に長く時間を取り、なぜ明治以降の近代には時間を短縮してまで簡単に終わってしまったのだろう…と思うようになりました。 ただ、違和感を持って生きているだけで、その思いは日々の忙しさに埋もれてしまい特に調べたりすることもなく過ぎていきました。
そしてついに父に「祖父」の話を聞くチャンスがやってきました。それは、我が家の家系を遡るためにお寺にある過去帳を見せていただくときでした。 父は嬉しそうに我が家の家系にあるご先祖の話を住職と始めました。父も過去帳はあまり見たことがない様子で住職にコピーをしてもらえるか聞いていました。
その中で、父の祖父母の話まで来たとき、急に父が黙りました。そしてこう言ったのです。 「おまえ、以前、死んだオヤジの話を聞きたがっていたな?わしから聞いても仕方ないぞ、ほぼ覚えていないからな、ハハハ(笑)」 「え~っ!」 私は長い間、父が辛かった戦後の経験から、思い出すのはかわいそうなので聞くまいとしていたことをあっさり片付けられて意気消沈でした…。
ところが、そのあと、とんでもないことを言い出すのです。 「でもなぁ、オヤジが死んでしまったことで、戦争が憎いとは思ったことはない…」と。 それは、すぐには理解しがたい一言でした。私は父が絶対、「戦争さえなければ今頃は…」と考えているはずだ、と思っていたからです。 「それは、戦争を知らない者が考えることだ。あの戦争を良いものと思っているといっているわけではない。
あの時代(戦前、戦中)に生きてきた者なら、戦前と戦後の違いが明らかに理解できる。戦後は戦前とは一回転も二回転もしたように違う世の中になっていった。それは、戦争に負けたからではなく、占領された当時の日本政府がGHQによって支配されている構造が変えた世の中になってしまった。」 「戦前にあった日本の良き伝統や構造そのものまで、戦争になる原因ではないモノまでGHQは排除してしまった。
当時、子供だったわしは、戦争が終わってすぐ、昨日まで正しいといわれてきたことが間違いと言われて納得がいかなかった。その違和感は今も持ち続けている。」 そうか…そうだったのか。 私はそこで気づきました。なぜ、押し入れの中に書類や本があったのか、戦争を憎んでいるはずの父が戦争を肯定するような資料を大切にしているのか。 あの戦争を境に前と後ろを知っている人はその違いに、なぜか理解できずに納得できずに、なるようにして生きてきたのかもしれない…。
私はそう思うようになっていきました。 そして父は、こう加えて言いました。 「まだ、今も納得いかない、だから、納得いくまで調べている…。」 父の中で戦争は終わっていないのだと感じました。戦後80年過ぎようとする今でも戦前に学んでいた「教育勅語」や修身科を中心にした「道徳教育」が、戦後、そういうことを軽んじた教育になってしまった。戦前にあった、日本の良き伝統や考え方を継承することがまるで戦争を起こした原因になっているかのように「悪しき事柄」として扱われることになったことに納得がいっていないように話してくれました。
父は当時、小学生だった自分が戦争が終わって訳のわからないまま時代に翻弄されて生きてきた、違和感だけがどうしても拭いきれなかった、だから今も何かを探し続けているように感じました。 私はたぶん同様に思っている父と同じ年代の人が他にもいるのではないだろうかと思いました。そしてもう、父と同じ年代の人が亡くなっていき、戦前、戦中を体験した年代の人がいなくなっていくことに「これからの日本」をどうしていけばいいのかという知恵を教えてくれる人々がいなくなってしまうような気がしてなりませんでした。
私がこの世の中を何か変に感じてそのままにしていた想いが、実は戦後、父が思い続けてきたこととよく似ている感情だとわかって、この「我が国、日本」に想う気持ちを受け継いでいかなければと強く思うようになりました。そして、あまり父とは話す機会が少なくなっていたところに同じような話題を持つことができ、話すことも増えそれもいいことだなぁって思っています。
参政党と関係を持つことで、そういった学ぶ機会を得られることに大変感謝しています。今こそもっと勉強して、「古き良き日本の伝統」を子々孫々まで伝えていかなければならない想いでいっぱいです。 とりとめのない話を最後まで読んでいただきありがとうございました。