何の為に?何故?をもう一度

皆様ご覧頂きありがとうございます。

参政党支持者のさいたまです。

人も増えてきて喜ばしい事ですが、最近SNS上で色々な情報が飛び交っています。

各個人が持つ情報量と情報の取得先は異なります。

その為、見え方も変わり、考え方・結論は全く同じものにはならない事が多いでしょう。

私も同じ参政党内でも正直全くわからない事も多くあります。

一方のみの情報だけだと判断がつかない事も結論が出せない事も多いでしょう。

仲間内のゴタゴタ等に関しては、一方から言われた内容では判断はつけられません。

 

疑う事は悪いことでは無いですが、疑心暗鬼にはなり過ぎず、自分の中で結論が出るまでは今まで通り普通に関われば良いのかなと思っております。

 

場合によっては『騙された』となる事もあると思いますが、単なる自分の思い込みと間違った判断だったと、その時は自分にベクトルを向けましょう。

神谷さんも演説で言っていた事ですが、迷った時は『何の為に政治をやろうと思ったか?』『何故参政党を選んだのか?』を振り返りましょう。

そして、あなたが目指していた事に対して真っ直ぐ取り組んでいけばいいのです。

最終的に結論を出すのは″自分″です。

私もまだまだ未熟で先走る事もありますが、お互い支え合い補いあいながら参政党の輪がもっと拡がり、政治参加する方が増える事を願っております。

言葉の力

少しだけ踏み込んで考える日常 コラムニスト 加瀬伊助

私の持論だが、人間が学ぶには言葉を書き連ねるのが一番手っ取り早い。

なぜなら、言葉を書き連ねるのは本当に難しいことだからである。

動機の言語化である。朝起きて仕事をし、帰って風呂入って飯食って寝る日常の連鎖。

それはまさに『試練』と呼ぶにふさわしい。

自分は何ゆえに存在するのかを問い、答えるためにはそれを伝える『自分の言葉』を持たねばならない。

たとえそれを人に伝えなくともだ。 日本語は、世界でも最難関の言語のひとつと言われている。

これは、まあ比べようのないことなので、根拠はそんなに問題ではない。

要は、日本語を操るという行為そのものが非常に難易度の高いミッションであり、言葉を操って自分の意思を他人に伝えてゆくということはすなわち、それを自らに課し続けるということでもある。

訓練としては十分高いものであるということだ。 人は学ぶために言葉を連ねよ。

私のその持論は子供の学習にも最適だ。それというのは、子供には日記を書かせよということである。

感受性豊かな子供たちは、目の前の事象にわくわくとしながら全身全霊で人生を送る。

その脳裏には溢れるばかりの感情と、色彩豊かな情景がぐるぐると巡る。

少なくとも私はそうだった。そしてそれを自分のものだけでなく、誰かに伝えたくてうまくは伝えられなくて、はしゃいでしまってただそれだけで終わりになる。

これは非常にもったいない。

もし子供の頃から大人の感情表現を学び、豊かに表現できたならば、人生の最成熟期に、世界一難しい言語を使って脳を鍛え続け、自己実現そのものを言葉で図ることができる。

これは私が理想とする、言葉を使って人生をのびのびと生きることができる世界の確立である。

親は日記の書き方を子供に教えてほしい。 私は幼いころから言語に長けていたと自負している。

小学生の頃よく感想文で賞をとったり、先生に日記を褒められたりした記憶がある。

それは当時すごく嬉しかったので、今でもしっかりその時の想いが脳裏にある。

先生が自分の作文を読みながら感心し、ははーっとも感嘆の声を漏らしていたのではないかと錯覚すらしている。

私が作文が得意だった理由は、はっきり言って図書館で本をよく読んでいたからだ。本を読んでいれば日記の書き方くらいは身につく。

そして、勉強して大学に行ってまたよく本を読んだ。そして社会人になってさらに本を、本本本と、本を読んだ。

そして、アラフォーになって加瀬伊助となってyoutube上に無数に語り掛けた。

言葉を操り、人に想いを伝え、人々に思想を語り掛け続けたyoutube活動だったが、数千ものコメントを貰った。

そしてそれが私の原動力になり、今日こうして記事を書いている。 言葉とともに自分の人生は誠に太くなった。

最後に、私にとって言葉を尽くす最大の喜びとは『人の心に響く実感』である。

人に価値を与える言葉を放てたときに、自分の心はわくわくどきどきと踊る。これがたまらなく嬉しい。

政治に参加し、発信し、多くの人に自分の言葉を伝えたいと願ってもその気持ちは『ただの言葉』であっては伝わらない。

相手の度肝をブチ抜くような力のある言葉でなくては相手の心には何も伝わらないのである。

人の世とは言葉で動いている。人が認め合い、答えとなってはじめて『社会』として様になる。

理想を語るとき、人は『言葉の力』を使うのである。

参政党の話を個別にした反応?

ここ数か月で仕事の取引先、病院の先生、歯医者の先生、整体の先生、塾関係者、知人や友人etc
参政党を知らない人たちに参政党の話をしてみた(ざっと50人ぐらい?)

〇状況
仕事の話や雑談をある程度(20~50分)したあとに、おもむろに話を切り出す。

〇ツール
DIYタイムズ+おむすび広場カード

〇話の導入時
雑談が終わり、タイミングをみて・・
1)ところで話が変わりますが、選挙に行く人ですか? 私は最近、参政党を応援していて・・・
2)ところで話は変わりますが、参政党って知ってますか? 私は最近、参政党ファンでして・・・
3)ところで、〇〇さんはどこか応援している政党ありますか?、維新とか自民とか? 私は参政党を応援していて
⇒だいたい、切り口はこのパターン^^

結果を簡単にまとめると
・政治の話で驚くが、まずは私の話に集中して聞いてくれる
・支持政党はほぼ「なし」と答える
・選挙に行く人に理由を聞くと、①頼まれたから②その時の気分がほとんど
・政治の話は嫌がられると思っていたが、みなさん普通に聞いてくれて、こちらが驚いた(笑)

〇話の導入後
私が何故、参政党にハマったのか?を一言か二言で簡単に説明する(自分の考えは抽象的に少しだけ伝える)
⇒すると、こちらの顔を見ながら黙って頷く
結果を簡単にまとめると
・質問してくる場合もある。なんで、もっと詳しく教えて・・・
・だけど、ほとんどが無言で頷くだけ。。
⇒注)政策や神谷さんの話は一切しない

〇最後の締め
そのままDIYタイムズとおむすび広場カードを渡して、時間がある時に動画を見てください。テレビで放映されないことや情報を知ることができます。と伝えて終わり。最短で5分ぐらい。政策や神谷さんの話は一切しない
結果を簡単にまとめると
・全員が受け取ってくれる
・そうたが参政党の大ファンということは伝わる
※動画を見てくれるのかは不明💧
⇒1回目はタネマキで2回目以降に繋がるように軽くアプローチするだけ

〇目的
①参政党っていう国政政党があることを知ってもらう
②そうたが参政党ファンであることを知ってもらう
③次に繋がるようにする(短時間でサラリと匂わせ程度)

現在
今、この50人は2巡目(第2クールw)に入ってるけど、動画見てくれた? ワクチン怖いよね?知ってますか?と、ここでも軽くプッシュする程度。

まとめ
参政党を理解してもらうには、相手の方にある程度の知識が必要💧
そこを個人が短時間で説明し納得させるのは難しいので、まずは動画を見せて理解を少しでも増やしておく方が得策と判断しております💧

選挙の時は、こんな悠長なことやっておれませんが、平時はコツコツと目覚めを促す活動がいるのでは?と思い、気長にたねまき活動をしております^^

少しでもでも参考になれば、幸いです❢

参政党はおかしな政党??

かぴばらチャンネル

参政党というと 全く知らないかたが大多数だと思います。

また知っていても「偏った情報」とか「変な人たち」 という意見も多く見受けられます。

私に言わせれば、それは他の政党を全く知らない人の意見です。

日本には多くの国政政党がありますが、 そのほとんどが偏った情報と政策の上に作られています。

自民党だとビジネスが第一。

野党は自民党の補完勢力として弱者救済を自民党に突きつけます。

結果として歪な政治と経済が日本を支配しています。

参政党は他の政党が見逃している政策や情報を発信します。

自民党で封殺されているLGBT理解推進に対する反対意見。

野党で封殺されている外国人による脱法行為の危機意識。

これらを丁寧に発信していると、古い政党支持者からはこう言われます。

「おかしなことを言ったりしている政党が参政党です」

半分正解ですが半分嘘です。

古い政党が言えないことやあえてスルーしている問題を参政党が発信します。

初めてそれを聞いた人はびっくりして偏ってるとレッテルを貼ります。

初めて聞く情報には自然と人間は拒絶反応を示します。

これを心理学で正常性バイアスとも言います。

今まで通りの生活を続けたいと強く願う自然な現象です。

しかし、それを頑なに思い込んでしまうと危ないことも事実です。

参政党は新しい政党には珍しく地方組織が生まれ続けています。

古い政党は労働組合や経営者協会の延長線上に地方組織があります。

参政党はどのような流れで地方組織が生まれているのでしょうか。

答えは、今までの政治ではダメだったものを変えたいと願う人が組織を作っています。

集まる人々全員が正しいわけではありません。

中にはおかしな人も存在します。

そしてそのおかしな人はどの政党にも存在する当たり前の事実です。

参政党の一番良いところは、経営者協会でも、労働組合でもない。 普通の人たちの集まりだというところです。